菅茶山と交流のあった頼山陽と幽閉されていた離れ
神辺本陣のすぐ近くに廉塾(れんじゅく)という儒学者・菅茶山(かんちゃざん)が開いた私塾が残っています。 頼山陽も塾頭を務めたそうです。 頼山陽(らい さんよう、1780~1832) について 江戸時代後期の漢学者。歴史・文学・美術などの分野でも活躍。 1780年大阪生まれ。 父春水が広島藩の儒学者に登用されたのに伴いで広島へ移住。 1800年広島藩を脱藩し京都へ行くが、連れ戻され邸内の離れに幽閉される。(学問に専念した時期) 1809年菅茶山(かん ちゃざん)が春水に山陽を廉塾(れんじゅく、現・福山市神辺町)の講師として迎えたいと手紙を送る。春水は同意し広島藩に内願書を提出し、許可がおりた。 1826年「日本外史」22巻を完成。翌年に松平定信に献上。 歴史の分野→『日本外史』は幕末のベストセラー 文学の分野→多くの詩文を作った 美術の分野→「耶馬溪図巻」などの水墨画(耶馬溪(やばけい)は大分県の景勝地) 広島市内に頼山陽史跡資料館があります。 敷地内には国の史跡である頼山陽居室(幽閉されていた離れ)、 資料館、茶室などがあります。 居室は閉館直前だったので閉まっていました。 旧頼山陽記念館の手すり 駆け足で見学しましたが、地元につながりがある人なので、ちょっと親しみがわきました。 それにしても、菅茶山の名前をきくと 谷口屋の「茶山饅頭」 が食べたくなります。 ================== 頼山陽(らいさんよう)史跡資料館 広島市中区袋町5-15 (旧日本銀行広島支店の東隣) TEL:082-542-7022 http://www.raisanyou.com/top.htm 開館時間:9:30~17:00 (入館は16:30まで) 休館日:月曜日 JAF会員の割引がありました。